私は、自分に対する妥協を懸命に抑えて
を打っていた。













この手牌から
を抜いて打つ、簡単なようでも、なかなか決断力がいる。
まだ6巡目、それもリーチがかかっているわけでもないのだ。
おまけに、ドンさんの現物はこの
1枚きりしかない。
この
を抜いてしまえば、後はアガリのないオリ一方の手牌で安全牌がないという、何とも情けない手牌になってしまうのだ。
だから、この
はなかなか打てない。
とりあえず、目をつぶって
のほうを打ち、後のツモをみたとする。
たとえばツモ
ならば、打
と押してみてもよかろう。この変化はなかなかよさそうだ。
しかし、それはツモがそうくればの話であって、そうくるという保証はなにもない。
ドンさんの
打ちに対し、とりあえず、などといういいかげんな気持で
を打ちたくはなかったのだ。
を抜いてしまった後は、苦しくなるのはわかっている。オリているのに放銃ってしまうかもしれない。しかし、それでもいいと思っていた。
ドンさんの
打ちは、それだけ間違いのないテンパイ宣言なのだ。
(まだテンパイしてないかもしれない。テンパイしていたとしても何がアタるかわからない。現物は1枚しかないのだから)
自分に言い訳するのなら、材料はいくらでもある。
そんな妥協で
以外の牌を打ちたくなかったのである。
私の
打ちと同巡、下家の鉄五郎
ツモ切り。これはもう、こういくところであって、鉄五郎には、それだけキッチリした手牌が入っているのだ。そんなことは鉄五郎の仕掛けと同時に全員がわかっていることで、だからこそドンさんの
打ちが強いのである。
だから鉄五郎も仕掛けた以上、簡単には退けない。この巡目で退けるような手牌ではないのだ。
だが、落ち目の鉄五郎と好調のドンさんの差がここでハッキリと出た。
この
が、ピッタリ放銃だったのである。
「ロン」
と、ドンさん。鉄五郎の
ツモ切りを確信しての
切り。そんな気配がハッキリ伝わってくる。
「満貫だな」
ドンさんの開けた手牌は、












ドラ
私の打とうとした
は安目ながら、アタリだったのである。
(フー、危なかった)
と、胸をなでおろした。その時だった。
「ハッハッハ、さすがだな、あそこで
を抜けるのはあんたくらいのもんだよ」
その声に振り向くと、いつの間にか後ろに立っていたのはトド松だった。その横にはケン坊もいる。
(そんなことはないさ。あそこで
を抜くことが出来て当たり前なんだよ)
とでも言いたげに、私を見てニッと唇をゆがめる。
「あの局面でドンさんに
を打たれたらもうしょうがないでしょう」
私も挨拶代わりに、そんなふうに答えた。
すると、
「いや、あの巡目、あの手牌から、危険だと思っていてもなかなか
は抜けないもんさ。あんたがやっているキョウギとかいう麻雀は知らんが、巷であの
を抜けるヤツ、いや、抜いて勝ち切れるのは並大抵のことじゃない。たいした精神力だよ、まったく」
トド松にしては珍しく多弁だった。
どうも、ここで私に会えたのが嬉しくてしょうがないという様子なのだ。ケン坊と一緒というのも、偶然とは思えない。
(役者が揃いすぎたな)
私としてはめずらしく、この勝負の後のことに気が行った。
トド松はなおも話しかけてくる。
だが、次の局ドンさんが第1打を打つと、その会話もプッツリと途絶え、また重苦しい雰囲気に戻っていた。
それもそのはず、鉄五郎が瀕死の重傷におちいっていたのだ。
この満貫放銃で、おそらくこの回も鉄五郎がラスだろう。だがもっと悪いのは、せっかく鉄五郎にチャンス手が入ったときに限って、他の手が早いということなのだ。
私のような中途半端な手牌なら、まだオリられる。しかし、鉄五郎の手牌で6巡目、リーチもかかっていないのにオリられるヤツなんて誰もいやしない。
鉄五郎の手牌は見えていないが、チャンス手であることはわかっている。
このことが、もう完全にダメなのだ。
後はどれだけ坂道を転がるか、勢いのついたものにもうブレーキは効かない。
ドンさんが四暗刻をツモって勢いにのった。
その勢いを止めようとするのはかまわないが、それよりもなによりも、3人の中から脱落しないことが大切だったのだ。
苦しくなって先に顔を上げた者が敗ける。
その争いに鉄五郎は負けたのだ。
その局が、鉄五郎がハイテイで放銃った
だ。
そう考えると、私が、












この手牌から、最後に安全牌の
を打って形テンにとらなかったことの意味が、ますますハッキリとしてくるのである。
あそこで私は顔を上げなかったのだ。
鉄五郎が最初にシビれた。すでに山場は越えているのだ。
「フゥー、パンクだよ」
と、鉄五郎が大きく息を吐いたのは、10回目の半荘が終わったときだった。
「ずい分とやられたね」
と、ヒラさん。このメンバーでは最年長のヒラさん、こういった言葉をかけるのは、こういう人と決まっている。
「一度もいいところがなかった」
「確かにこの回数じゃやられすぎだな」
特に、ドンさんに
を放銃した後の2回はヒドかった。
堪えていてもラス、前に出れば討ち取られる。こうなればもう誰が打っても同じ、どうしようもない。
もっとも、そのおかげで私とヒラさんは負けをおおかた取り戻している。
ドンさんの一人勝ちなのだが、ドンさんの嵐の吹く中、負けなかったというのは1勝に値する。
麻雀というゲーム、調子がいいときもあれば悪いときもある。
悪いときにどれだけ負けを抑えられるかというのも重要なポイントなのだ。
あの
をチーしていたら、私が鉄五郎の立場になっていたかもしれないと思うと、いまさらながらに麻雀の恐さを思い知らされる。
鉄五郎の惨敗でこの1戦の決着はついた。
しかし、この日はそれで終わらなかった。
「ヨシ、久し振りにネコチャンと戦ってみるか」
とトド松、ヒラさんの方をチラとみた。
「いや、私はもういいよ。年だからね」
ヒラさんが辞退したことで、必然的にケン坊も入ってくることになった。
2年近く前のあの一戦、その再戦という形になった。
あのときはほとんど動かず、勝負がつかなかったが、機会さえあればまた再戦、と全員が思っていたはずだ。
私としても、ドンさんとの勝負でやや疲れはあるものの、このメンバーなら逃げるわけにはいかない。
きっと50回打った後だって燃えれるに違いない。望むところなのだ。
ドンさんだってこの状態で席を立つはずがない。
どうぞお好きなように、てな顔をして動こうとはしない。
(ヨシ、こうなればトコトン戦ってやる)
10年近く、毎日のように麻雀を打ってきたが、この3人は正真正銘の麻雀職人達なのだ。
麻雀に対する姿勢、鍛え方が半端じゃない。
こんな男達と打ってこそ、今まで麻雀にかけてきたかいがあるというものなのだ。
「ウーン……」
3回目の半荘が終ったとき、トド松が何か思いつめるような感じで、こう唸った。
この回のラスはトド松だったのだ。
初戦、まず動いたのはトド松。このメンバーなら動くのはまずこの男からである。
動くといっても、チー・ポンだけに限らず攻める姿勢をみせるといったものも含めて、どうしても目立つのはトド松なのだ。
たとえば、序盤の切り出し。誰かに好手でも入ってない限り、翻牌を切り出していくのは決まってトド松なのである。
これはトド松の雀風というべきものであって、誰か飛び抜けて牌勢のいい者がいない限り、手牌を最大限に突き詰めていくことに重点が置かれる。
1シャンテン、テンパイ、という手牌に、相手より一歩でも先んじることによってスキをつくらないというのがトド松の打法なのだ。
ただし、これも、相当の集中力を要する。
トド松のような、目一杯張った打ち方にはそれが必要不可欠なのだ。
この男はそれに徹しきれる。
まるで機械のように寸分違わず押してくる、こんな男はちょっといない。
鍛え方が違うのだ。
ただし、やはり主導権が取りやすい分落とし穴もある。
初戦2着、2戦目トップと調子を上げてきていたのに、3回戦目にラスを引かされたのも、東1局、私の早い七対子につかまったからだ。













ドラの
を重ねての今テン。
手出しのテンパイだ。
ちょっと不用意にもみえる放銃だが、トド松の麻雀はこういったところは気にもしない。
それに、6400につかまったぐらいでやすやすとラスは引かない。
これは後で聞いたことだが、本当にマイッタのは東4局だったという。
私の親番のこの局、7巡目にトド松が
チーと動いた。
からの
チーである。
序盤の切り出しからいって、どうみてもクイタンなのだろうが、序盤の切り出し、点棒状況、両面チーからみて、どうやら最低でもドラが対子、ヘタをすると暗刻まであろうかという感じだった。
私のほうは
、
対子の混一含みの配牌だったのだが、思ったように手が伸びずオリを決めていた。
それも完全にベタオリで、こんなときはテンパイだけでもなどという欲を出すと牌勢をそこねる。
数牌の方から整理していき、完全安全牌の
に手をかけたのが16巡目。
調子を上げているトド松にはツモられそうな気がしたが、それはしょうがない。
放銃するわけにはいかないのだ。
次巡私のツモってきたのは
。他の2人もオリているらしく、トド松の現物を切り出してきている。
同巡ケン坊の打牌は
で、これで私の目からは
が4枚みえた。
瞬間、私は
をタタキつけていた。
が4枚、
が現物、シャンポンもない。アタリようのない
なのだが、4枚目の
がみえていないトド松には強い牌に映っただろう。
うまい具合いに、同巡トド松の引いたのが
だったらしい。








ツモ
(チー)

ドラ
私の
がテンパイの入った打牌なら、マチはこのあたりしかない。
トド松はかなり考え込んでいたが、結局手をかけたのは
だった。
そして、次巡のツモが
。
そのときのトド松の悔しそうな動作で、ある程度は察しがついていたが、まさか一瞬の
切りがこんなにもうまくいっていたとは思ってもいなかった。
この局トド松がアガリを逃した結果が、3回戦目トド松のラス、私のトップという結末を生んでいたのである。
何も考えず2枚目の
を続けて切っていたとしたら、次巡トド松のツモアガリ。結果はどう変わっていたか。
また当分は、と思っていた私にとって案外早く1勝できたことは望外だったが、こんなことぐらいで流れが決まるほどヤワなメンバーじゃない。
(これからだな)
2年前と同じく、なかなか決着のつきそうのない戦いに、そう気を引き締めていた。
“
